2026年9月1日放送の「情報ライブ ミヤネ屋」で、出演者の発言をめぐり「不適切な表現があった」と番組側が謝罪する場面がありました。
今回、問題となったのは、身体が不自由な状態を表す差別的な表現とされる「かたわ」という言葉です。
では、なぜテレビでは特定の言葉が「放送禁止用語」として扱われるのでしょうか。
そもそも、こうした言葉は法律で一律に禁止されているものなのでしょうか。
今回のミヤネ屋の対応をきっかけに、言葉そのものの問題だけではなく、放送局による自主規制の歴史、機械的に謝ることの問題についても整理します。
ミヤネ屋の不適切発言が話題に
2026年9月1日の「情報ライブ ミヤネ屋」では、山口県美祢市で発生した和菓子店店主殺害事件について取り上げました。
その中で、リモート出演していた元神奈川県警捜査1課長が、重傷を負った被害者の妻について説明する際、不適切とされる表現を使用しました。
【不適切表現】「ミヤネ屋」で放送禁止用語、宮根誠司とアナが謝罪https://t.co/I8sgL4BwYI
老舗和菓子店で店主が殺害された事件を巡り、リモート出演していた元神奈川県警捜査1課長が、頭部を狙われた妻について「普通の生活ができなくなる」という文脈で放送禁止用語とされる言葉を発していた。 pic.twitter.com/NZGPggKQOb
— ライブドアニュース (@livedoornews) September 1, 2026
この発言について、CM明けに西尾桃アナウンサーが謝罪。
「先ほどの放送の中で、不適切な表現がありました」と説明し、視聴者に対して頭を下げました。
続いて宮根誠司さんも「失礼いたしました」と謝罪しています。
言葉自体の説明はなし
番組では、問題となった言葉そのものを改めて繰り返すことはありませんでした。
そのため、SNSなどでは「一体、何と言ったのか」と気になった人も多かったようです。
今回のケースで指摘されているのは、現在では障害のある人などに対する差別的な表現とみなされている言葉です。
放送禁止用語とは?
テレビ局が使用を避けている言葉や、放送上の配慮が必要とされる表現が、一般的に「放送禁止用語」と呼ばれています。ここで注意したいのが、放送禁止用語=法律で定められている訳ではない点です。
つまり、国が「この言葉をテレビで使ってはいけない」と一括して決めた法律上のリストが存在するわけではありません。
今回のミヤネ屋でも、発言があった後に番組側が謝罪するという対応が取られました。
生放送では、事前にすべての発言をチェックすることはできません。
そのため、出演者が問題となる表現を口にした場合、番組側がその場、あるいはCM明けなどに訂正や謝罪を行うケースがあります。
今回もまさに、生放送ならではの即時対応だったといえるでしょう。
では、なぜ特定の言葉がテレビでは使用を避ける対象になったのでしょうか。
ここを理解するには、「放送禁止用語」が生まれてきた歴史を知る必要があります。
不適切発言が問題なのか?テレビ局の対応が問題なのか?
今回の件を考えるうえで、単純に「その言葉を言ったから悪い」と結論づけるだけでは、少し見えにくくなる部分があります。
なぜなら、問題は大きく分けて二つあるからです。
一つは、使用された言葉そのものに差別的な意味があるのかという問題。
もう一つは、テレビ局がどのような基準で言葉を規制し、問題が起きた際にどう対応するのかという問題です。
そもそも「放送禁止用語」という名称から、法律で禁止されている言葉だと思っている人も少なくありません。
しかし、実際にはそうではありません。
放送局には番組を制作・放送する際の基準があり、視聴者や関係団体からの意見、社会的な価値観の変化なども踏まえながら、使用を避ける表現が定められてきました。
言葉の意味は文脈や時代により変化する
そのため、同じ言葉であっても、使用された文脈や時代によって受け止められ方が変わる場合があります。
たとえば、過去には一般的に使われていた言葉が、現在では差別的な表現として認識されるようになったケースもあります。
逆に、歴史や文学作品などを紹介する場面では、問題となる言葉をそのまま使わなければ内容を正確に伝えられないこともあります。
ここに、放送局が抱える難しさがあります。
単語だけを機械的に判断するのではなく、誰に対して、どのような意味で、どのような場面で使われたのかまで考える必要があるからです。
一方で、テレビは非常に多くの人が視聴する媒体です。
放送禁止用語を発言した出演者本人に悪意がなかったとしても、当事者やその家族が傷つく可能性があります。
さらに、生放送で発言された言葉は、そのまま視聴者に届いてしまいます。
そのため、テレビ局が慎重になるのも理解できます。
今回のミヤネ屋でも、番組側は問題となった表現について詳しく説明するのではなく、「不適切な表現があった」と謝罪しました。
これは、問題の言葉を再び放送することで、さらに不快な思いをする人が出ることを避ける意味もあると考えられます。
「不適切でした」だけで問題解決につながるのか?
ただし、ここにも別の疑問が生まれます。
「なぜその言葉が問題なのか」を説明せず、ただ「不適切でした」と謝罪するだけで、本当に問題の解決につながるのでしょうか。
言葉を使わないことだけが先行すると、なぜ問題なのかを考える機会まで失われる可能性があります。
今回の件は、一つの発言をめぐる問題であると同時に、テレビ局が言葉とどう向き合うのかを考えるきっかけにもなっています。
放送禁止用語の歴史と自主規制
「放送禁止用語」という言葉を考えるとき、まず押さえておきたいのが、法律で一律に定められた禁止語ではないという点です。
日本の放送には、戦前から国による一定の規制がありました。
1925年にラジオ放送が始まると、政府による放送内容への規制も行われるようになります。
当時は現在のような「差別語リスト」が存在していたわけではありません。
政治や風紀など、放送内容そのものに対する規制が中心でした。
その後、戦後になると状況は大きく変化します。
日本国憲法では検閲が禁止され、1950年に放送法が制定されました。
そして、放送事業者が自ら番組の基準を設けるという現在につながる仕組みが整えられていきます。
つまり、現在の放送における「使わないほうがよい言葉」は、政府が一括して決めたものではありません。
放送禁止用語はテレビ局の自主規制から生まれる
放送局や業界団体による自主規制、社会からの批判、視聴者からの意見などが積み重なって形成されてきました。
特に大きな転換点の一つとなったのが、1970年代以降です。
障害者の権利を求める運動などが広がる中で、障害のある人を侮辱したり、人格を否定したりするような表現が強く批判されるようになりました。
その結果、テレビや新聞などのメディアでも、差別的とされる表現を避ける動きが強まっていきます。
ここで誤解してはいけないのは、放送局が差別語リストをゼロから作ったわけではないということです。
もともと社会の中で使われていた言葉に対して、「その表現で傷つく人がいる」「差別を助長する可能性がある」という問題提起がありました。
放送局は、そうした社会の変化を受けて、放送で使用しないという判断を積み重ねてきたのです。
ただし、その結果として「テレビで使われない言葉=絶対に言ってはいけないタブー語」というイメージが広がった側面もあります。
これが現在、「放送禁止用語」という言葉が広く使われている理由の一つでしょう。
実際には、放送局ごとの基準や判断もあり、すべてのメディアに共通する一つの公開リストが存在するわけではありません。
時代が変われば、言葉に対する社会の受け止め方も変化します。
そのため、放送における言葉の扱いも固定されたものではなく、社会状況に応じて変化しているのです。
言葉尻だけ正しても差別は残る
「カタワ」は不適切って誰が決めたんでしょうね。
「障害者」はNGで、「障がい者」はOKって誰が決めたんでしょうね。
「言葉さえ気をつけておけば、ひとまずセーフ」みたいなのが、いちばん敬意を欠いた態度なのよ。 https://t.co/QqSIfSg9Gv
— 乙武洋匡 (@h_ototake) September 1, 2026
今回のミヤネ屋の件から考えさせられるのは、「問題のある言葉を使わなければ、それで差別がなくなるのか」という点です。
もちろん、差別的な表現によって誰かを傷つけることを避けるのは大切です。
しかし、言葉だけを別の表現に置き換えても、社会に存在する差別そのものが消えるわけではありません。
たとえば、ある言葉が問題視されて使用されなくなったとしても、その言葉が指していた対象への偏見や無理解が残っていれば、別の表現が新たな差別語になる可能性があります。
つまり重要なのは、言葉そのものだけではなく、その言葉が使われた背景や意味を考えることです。
今回のように番組側が謝罪することにも意味があります。
不快な思いをした人に対して配慮を示し、今後同じ問題を起こさないようにするためです。
一方で、「不適切でした」と謝罪して終わってしまえば、視聴者は「なぜダメだったのか」を知ることができません。
これでは、特定の言葉に反応し、機械的にアカウントを停止するシステムと変わらないでしょう。
その結果、「テレビでは言ってはいけないらしい」という表面的な理解だけが残ってしまうこともあります。「放送禁止用語」という言葉が誤解を生みやすいのも、ここにあります。
本当に考えるべきなのは、「禁止されているから使わない」ということだけではありません。
その言葉が誰を傷つける可能性があるのか、なぜ差別的だと考えられてきたのかを知ることでしょう。
そして、言葉を変えるだけではなく、社会の中にある偏見や差別について考えることも必要になります。
テレビは多くの人に情報を届ける媒体だからこそ、言葉選びには慎重さが求められます。
今回のミヤネ屋の不適切発言も、単なる「言い間違い」として終わらせるのではなく、放送における言葉の自主規制はなぜ存在するのかを考える機会として捉えることができそうです。


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